何が何でも帰国しなければ…10年に及ぶサバイバル生活。江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫の生涯 その3

小山 桜子

前回に引き続き、江戸時代の漂流民、大黒屋光太夫の過酷なロシア漂流物語についてご紹介します。

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前回に引き続き、江戸時代の漂流民、大黒屋光太夫の過酷なロシア漂流物語についてご紹介します。[insert_post id=97305]アムチトカ島光太夫一行が着いたのは、北太平洋アリュ…

ロシアを大横断

天明7年(1787)の夏、一行はカムチャッカ半島に着き、ニジニカムチャツクに連れていかれます。食事も支給され、気温も比較的温暖でここの生活はアムチトカ島より良いもの…かと思いきや、冬になった途端、アムチトカ島を超える寒さと飢饉で木の皮しか食べるものがなくなり、3人の仲間が壊血病にかかって命を落としました。

アムチトカ島も充分に過酷でしたが、それを超えるほどの飢饉でした。そのうちに春が訪れ、川で魚が取れるようになり、6人だけは餓死を免れました。食べ物が尽きた状況で6人が生き残ったのは、どんな時も生きて日本に帰る意思を失わず、仲間を励まし統率し続けた光太夫の存在が大きかったようです。

またもや減ってしまった光太夫一行は「日本に帰国するにはイルクーツクのシベリア総督府まで行けば帰国に繋がるかもしれない」という情報だけを頼りに、マイナス50度を超える極寒の中を移動し続け、オホーツク、ヤクーツク、ついにイルクーツクに至ります。漂流から実に7年後の寛政1年(1789)の事でした。

3ページ目 イルクーツクにて…

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