かつて日本ではマイナーだったスキーの発祥とスキーの宣伝に尽力した「磯野霊山」その2

湯本泰隆

前回の記事

かつて日本ではマイナーだったスキーの発祥とスキーの宣伝に尽力した「磯野霊山」その1

スキーが初めて日本に姿を現したのは、明治42(1909)年12月17日のこと。オーストリアのフォン・レルヒ少佐が新潟県上越市高田の歩兵第五十八連隊付として配属され、スキーが送られてきました。ス…

スキー発祥の地であった新潟県上越市高田でスキーの歌が最初に高田から生まれたのも歴史的に必然かもしれません。ところがその「スキー唄」第一号を知る人はほとんどいません。

歌詞の作者・磯野霊山。日本画家でもあった彼は佐賀県の出身で、東京美術学校卒業後、明治41(1908)年から大正11(1918)年まで『高田日報』の記者として現在の新潟県上越市高田に住んでいました。

彼は明治44(1911)2月5日、レルヒ少佐が高田第十三師団へ着任と同時に、スキーの実地指導を受け、堀内連隊長はじめ町の有志らと早くも2月19日、高田スキークラブを組織して発足式をあげ、主任委員として熱心にスキー練習の勧奨にあたりました。その一方で、スキーの沿革・技術・効用など盛んに新聞に書き立て、写真・漫画入りでスキーの宣伝をしました。

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了