皇室制度の基礎を作り「日本」という国号を正式に制定した女帝・持統天皇

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女性の天皇と聞くと、 女性皇族に皇位継承権が認められていない現代ではどうしても「皇位継承者不在のための中継ぎ」という印象を持たれがちです。

しかし推古天皇についての記事からも分かるように、かつて実際に即位した女帝は決して「中継ぎ」という扱いではありませんでした。それどころか、中には「その後の日本という国と、皇室制度の基礎を作った」と言っても 過言ではない女帝が存在したのです。

持統天皇のまたの名は「高天原廣野姫天皇」

『小倉百人一首』には8人の天皇の歌が取り上げられていますが、その中に唯一取り上げられた女帝が、トップバッターの天智天皇の娘である第41代・持統天皇です。『日本書紀』によると、持統天皇は「高天原廣野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)」という別名も持っていました。

高天原といえば、太陽神・天照大神が治め、天津神がおられるという伝説の場所。天照大神が天岩屋(あまのいわや)に隠れ、世界が真っ暗になったことで有名な「岩戸隠れ伝説」の舞台となったのも、この場所でした。

持統天皇は国が民衆を統治する「公民制」を定め、「飛鳥浄御原令」の中で「日本」という国号を正式に制定し、「天皇」「皇后」「皇太子」も法的に定めました。

2ページ目 「日本という国」を確立したのは、古代の女帝

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