弟、側近、子供までもが敵になり…。室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!最終章

やたろう

前回は足利尊氏が幕府を発足させ、吉野に逃れた後醍醐天皇の南朝と争う南北朝時代が到来したことを紹介しました。今回は、尊氏の人生最後の戦いである観応の擾乱を中心に紹介していきます。

うち続く乱世に、尊氏は隠遁することを求めるが…

その翌年、かつては敬愛する主君であった後醍醐天皇が失意の内に崩御したのを知った尊氏の悲しみは大きく、『陛下の魂をお慰めせねば』と寺の建立を志します。後醍醐天皇を供養する寺を建立する資金を得るために元(モンゴル帝国)に天龍寺船を派遣し、それによって建立されたのが、天龍寺です。

また、かねてから尊氏は隠遁する願望があり、清水寺にもそうした願いを込めた願文を納めていました。敵味方問わず戦没者を慰霊するために安国寺や利生塔と呼ばれる寺院を各地に建立させ、穏やかな余生を願った尊氏でしたが、それは叶いませんでした。

1348年に楠木正成の子供達に勝利し、南朝を順調に追い詰めていた尊氏の人生に陰りが差します。その翌年、幕府内で尊氏将軍の軍事補佐を担う高師直と、政治を一任されていた弟の直義との間に起こった争いこそが、観応の擾乱の前夜祭と言うべきものでした。

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