平安時代中期の書家として知られる藤原行成
平安中期、小野道風・藤原佐理と並び「三蹟」と称された能書家である藤原行成(ゆきなり・こうぜい)。後世には、彼の家の書法は「世尊寺流」ともてはやされました。その書法は流れるようで優美。行成は和洋書道の立役者でもありました。
さて、書道の世界では行成の名を知らない者はおらず、もちろん一般にも教科書などに「三蹟」のひとりとして載っているので認知度が高い行成。実は、書道以外にも才能を発揮した人物でした。
沈淪の少年期
摂政・藤原伊尹の孫として生まれた行成は、そのまま順調にいけば出世コースまっしぐら。摂政の孫、しかも嫡子だったので、そのまま祖父から父、そして自分へと政治のトップの座は引き継がれていくはずでした。しかし祖父・父の相次ぐ薨去によってその道は絶たれ、政治の中心は遠のきます。
後ろ盾を失った行成はかなり沈淪した少年期を送りました。伊尹の家系はとくに早世が多く、呪われているのでは、と言われたほど。親の早死にが運を左右してしまう時代です。