えっ!あの名君の御製は別人の作だったの?
奈良時代~鎌倉時代までの100人の歌人の歌を、それぞれ1人につき1首ずつ集めた歌集・小倉百人一首。
これまでにも、その中に取り上げられている作者と歌をご紹介してきましたが、100首の中のトップバッターとして登場するのが天智天皇による御製です。
秋の田の かりほの庵の 苫を荒み わが衣手は 露に濡れつつ
(稲の収穫のための秋の田んぼの番をするための粗末な仮小屋にいると、屋根をふく苫の目が粗いため、そこから漏れてくる露で私の着物の衣手がだんだん濡れてくることよ。)
稲の収穫の時期になると、農民たちは夜中に動物がやってきて稲を荒らさないよう、田んぼに仮小屋を建てて泊まり込みで番をしていたのです。
第38代天皇・天智天皇といえば、それまで権力を欲しいままにしていた蘇我氏を滅ぼし、天皇中心の国家成立を目指す「大化の改新」を行ったとして、歴史の教科書に必ず登場する天皇です。
そこから
「さすがは天智天皇!庶民の暮らしを目の当たりにし、そのつらさを理解する名君だったのだな」
という解釈もできますが、実はこの歌、元は別人の歌だった可能性があるのです。