遊女たちの自由時間♡江戸時代、吉原遊郭の朝はどのようなものだったのでしょうか?

阿部裕子

吉原にも朝は来る

闇夜に煌々と灯りをともし、賑わいをみせた遊郭吉原の朝はどのようなものだったのでしょうか?別世界なだけに、気になるもの。では、吉原の朝をちょっとのぞいてみましょう。

夜が明けると泊まりのお客は帰り支度をはじめます。時には、遊女に揺り起こされることも。当時の歯ブラシ、房楊枝で歯磨きをして、見習い少女の禿(かむろ)が持ってきたうがい茶碗でうがいをします。ちなみに吉原で使う楊枝は吉原楊枝といい、使用後は2つに折っておくのがマナーだったそう。

廊下では、提灯をつけた若い者がお出迎え。若い者は客の草履を土間に揃えておきます。ちなみに若い者は、年が若いということではなく妓楼の男の使用人のことを指します。

明け六ツ(午前6時)になると、吉原唯一の出入り口の大門(おおもん)が開きます。大門まで遊女が見送り、お客に別れを告げます。夜が明けると大門は開きっぱなしですが、遊女は大門の外に出てはいけません。

別れを惜しむ朝

多くのお客を魅了する遊女は、別れ際も未練たっぷりに目に涙をためて別れを惜しむのだとか。こうされるとお客は、遊女のことが愛しくなり、また会いたくなるのですね。遊女の涙はもちろん演技ですが、お客にとっては一晩の夢を味わえる場所だったので、夢をこわすことのないようしっかりと演じることが大事だったのです。

とはいえ、遊女が本気でお客のことを好きになってしまう場合もあります。遊女が惚れた男のことを間男(まぶ)というのですが、間男との別れは本気で遊女も別れを惜しみ、さぞかし悲しんだことでしょう。

男女が一夜を共にした翌朝、その朝の別れのことを後朝(きぬぎぬ)の別れといいますが、それまでひとつに重ねていた衣を別々に身に付けるのがつらい朝、という意味も込められているのです。

2ページ目 客が帰ったら遊女たちの自由時間

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了