江戸時代のお金は複雑で、金貨・銀貨・銭貨の3種類がありました。換算率も一定でなく、たえず変動します。例えば、金1両は銀50匁、銭4000枚と換算率が決められているものの、幕府の政策次第で交換率が悪くなることもあったのです。
一文銭や四文銭で支払える金額のものを使っているところでは、高額紙幣を出されてもお釣りを出せません。そこでお金の両替をするため、両替屋に行きます。この両替屋には、為替や担保貸しも行う本両替と主に銭の両替を行う銭両替があり、庶民が利用するのは銭両替の方。銀を両替するときは、天秤を使って銀の目方を量ってくれたそう。
庶民がいつも使う貨幣は?
この時期に最も多く発行された貨幣といえば、寛永通宝です。庶民の日常の買い物は、この寛永通宝(一文銭、四文銭)でほぼ事足りました。特に四文銭を使う場面が多いため、物の値段には八文、十六文、三十二文が多かったそう。ちなみに四文銭は、一文銭より少し大きめで重さは1.5倍。波模様がついており、波銭(なみせん)という呼び名もあったとか。例えば、物売りが討っている納豆は四文(80円)、枝豆ひと枝は四~六文(80~120円)、茶屋のお茶は一杯四文(80円)、鮨は八文(160円)~など。
なぜ銭の穴は四角だったの?
一つ注目したいのが、銭の穴の形です。なぜ四角いのでしょう?それには、製造上の理由がありました。溶けた銅を一気に流して造るのですが、冷え固まったものは、まだ周囲が滑らかになっていません。そこで、断面が正方形の串に銭を何百枚か通してから、周囲をやすりで磨いて滑らかにするのです。貨幣の穴が四角いため、固定されてしっかりと磨くことができるんですね。
それにしても、小銭をたくさん持ち歩くとなると、なかなか重そうです。今とは貨幣事情が大きく異なる江戸時代、知れば知るほど興味深くなりますね。