四谷怪談と忠臣蔵の意外な関係
江戸時代、文政8(1825)年に江戸三座の中村座で初演された「東海道四谷怪談」。言わずと知れた鶴屋南北の代表作です。実は現在では意外と知られていない事実があります。この「四谷怪談」は、赤穂浪士の討ち入りを描いた「仮名手本忠臣蔵」のスピンオフ、いわば「忠臣蔵外伝」として書かれたものだったのです。
江戸時代の初演時は2日間に渡り、「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」を時系列に沿って交互に上演しました。1日目は「忠臣蔵」1〜6段目→「四谷怪談」1〜3幕。2日目は「忠臣蔵」7段目〜10段目→「四谷怪談」3幕〜幕切れ→「忠臣蔵」11段目(討入り)。今では見る事のできない、凝った演出です。
四谷怪談の真の設定
お岩さんは塩谷判官(浅野内匠頭)の家臣の四谷左門の娘。伊右衛門はその婿で塩谷浪人。しかし、伊右衛門はお岩さんを見捨てて若い娘と結婚します。その娘こそ、高師直(吉良上野介)の家臣、伊藤喜兵衛の孫娘でした。つまり、伊右衛門は塩谷の家を裏切り、高師直の家臣へと転身してしまったのです。ここからお岩さんの「恨めしや〜」が始まります。四谷怪談にも忠臣蔵と同じく、塩谷判官が正義、高師直が悪、の構図がこんなにもはっきり出ていたんです。