花が咲き、新緑が芽吹く時期になっても夜になれば肌寒さを感じることが多く、そんなときは温かい麺類がありがたいものですね。寒い夜のお供が温かい麺だったのは江戸時代も同じで、当時の人々は様々な食べ方を楽しみました。
そのおいしさが如実に伝わるのが、落語『時そば』です。麺をすすり込む所作と語り口は何ともおいしそうなこの落語、「花巻にしっぽく」と言う言葉が出てきます。
「花巻」も「しっぽく」も蕎麦のメニューですが、今では扱っているお蕎麦屋さんも少なく、今ひとつ目立たない存在になっています。噺の妙味ともなっている、この二つの蕎麦について解説していきます。
江戸っ子の洒脱なネーミングセンス
花巻と聞くと、どのようなことを連想するでしょうか。岩手県の地名である花巻を真っ先に思い出す人も多いでしょうし、料理通なら中華料理のお饅頭である花巻を連想するかも知れません。残念ながら花巻蕎麦はどちらとも関連性は無く、ちぎった焼き海苔をたっぷりと乗せた蕎麦なのです。
なぜ海苔で花巻になるのかと言うと、使われた浅草海苔が“磯の花”と呼ばれていたから、焼き海苔を蕎麦の上に撒き散らす様子が花のように見られたからと、諸説があります。“撒き”はいつしか“巻き”に変化していき、落語に登場する名前になっていきました。
この花巻は安永年間(1772~81)に登場したメニューで、江戸前の浅草海苔を焼いて蕎麦の上に乗せ、ネギや蒲鉾も入れずにワサビのみを風味付けに使った、ごくシンプルながらも食材の持ち味を生かしたものです。こうした奥深さと洒落の利いた名前とが、粋を好んだ江戸っ子に愛されたのは、想像に難くありません。