10月1日に復原オープンした東京駅。優雅なエントランスホールのドーム内のレリーフ、けっこう高いところにあるので、下から見上げてると首痛くなります、望遠レンズかオペラグラス持参がオススメ。外観は遠景で見るとまるでお城ですが、横長過ぎてワイド撮影が難しい…。など難点はありますが、東京見物のメニューに入れる価値は十分にある名所になりました。
中でもこの駅の2階3階を占めるステーションホテルは数々の文豪にも愛されたという高級ホテル。何とか少しでも垣間見たいと思いますが、ここばかりは宿泊しないと入らせてはもらえないシステム。1杯千円以上のお茶をティールームで楽しむのが、庶民にはせいぜいです…。
やはりこのホテルにお似合いなのは、文人。このステーションホテルを愛した一人が、かの松本清張センセイであります。彼はこのホテルの隠れ家的な雰囲気を気に入っていたようで、しばしばここで執筆を行なっていました。復原されたホテル内にもセンセイが定宿としていた部屋が残されており、それを記念して「点と線」当時の時刻表や初版本の表紙が廊下に展示されているそうです。
せめて清張センセイの時代の優雅な東京駅の香りを味わいたいと、東京駅が舞台の「点と線」を読み返してみました。
夕刻の東京駅、博多行きの特急「あさかぜ」に乗り込もうとする妙齢の美しい女が登場します。彼女は恋人とおぼしき三十前後の男性とともにホームに消えていきますが、それから一週間後、二人は九州の海岸で心中死体として発見されます…。
というのが冒頭部分、続きは本編をお読みいただきたいと思いますが、この小説が発表されたのは昭和32年。驚かされるのは50年前のの「スロー」な日常です。この時代まだ新幹線はなく、東京から博多へは夕刻出発しても到着は翌日のお昼、およそ18時間かかります。
そして通信手段は電話ではなく、電報。字数に制限がありますから、主人公の刑事が短い文章を考えるのに苦心する様子などが描かれています。
今では東京から博多へ行くのに、空路では2時間かかりません。また遠方への電報は1日以上返事を待たなければなりませんが、メールなら数分です。この頃は、今とは時間の速度が違っていて、人の心もゆったりとしていたのでしょう。
東京駅の優美さに、思わず写真を撮ってすぐさまフェースブックにアップして…と慌ただしい私たちですが、しばし携帯の手を止め、時間を往時に戻しながら、静かに駅舎に佇んでみる。東京駅の100年の歴史を刻む赤レンガは、私たちにそういう何かを伝えようとしているのかもしれません。