ゴールデンウィーク中5月3日4日合わせて200万人と日本一の人出を誇る「博多どんたく港まつり」。毎年さまざまな趣向を凝らした「どんたく隊」が街をパレードし、福岡の街角では本舞台・演舞台が各所に設けられます。
街はまつり一色となります。祭り好きの博多っ子らしい「博多どんたく」ですがルーツは古く民族行事「松囃子(まつばやし)」にあります。長い歴史を有するだけに伝統やしきたりも多く、まさに新緑の季節にあう伸びやかな祭りなのです。
どんたくの歴史
そもそも博多「松囃子(まつばやし)」とはなにか?
「松囃子(まつばやし)」とは、室町時代に京都で始まり正月芸能として、町衆や侍衆が作ったといわれています。
江戸時代、福岡藩・儒学者である貝原益軒の地誌「筑前国続風土記」紹介され古老(ころう)の言い伝えがもとになっています。
それは平清盛の嫡男の重盛は中国の宋の寺に黄金3千両を寄進した際に、使者は博多を経由して渡りました。この時に恩を受けた博多の人々が(重盛に)恩返しにと、重盛の没後の正月に「松囃子(まつばやし)」をはじめたという言い伝えとなっています。
それがしゃれっ気が多い博多町人が発展させたのが「博多松囃子(まつばやし)」となりましした。
博多どんたくは時代によって何度か中止をされ、博多の町が焼け野原だった1946年(昭和21年)復興の期待を込めて復活しました。いまではみんなが参加して趣向を凝らし「どんたく隊」がパレードする「参加型祭り」となりました。
博多どんたくのどんたくの語源は、オランダ語の「ゾンターク」で日曜日や休日という意味なのですが、これは明治のはじめ頃から用いられました。
昭和の終わり頃まで土曜日の午後からは休みのことを「土曜半ドン」と使われてました。つまり午後から半日休日と言うわけです。全国的にはこの半ドンが定着しましたが、博多では祭りの名として「博多どんたく」が定着し全国的にも有名になりました。
どんたくのシンボンルマーク「千成しゃもじ」
出展:博多の魅力
博多どんたく隊のパレードにしゃもじをたたきながら踊っている姿の理由は諸説ありますが、そのひとつを紹介します。
むかし商家の前を通りかかったどんたく隊「博多松囃子(まつばやし)」。「博多松囃子(まつばやし)」の見事な音色に夕餉(ゆうげ)の支度をしていたごりょん(おかみさん・婦人)さんが浮かれだしました。そして手に持っていたしゃもじをたたき、どんたく隊に加わったのです。いまではどんたくのシンボルマークとなり「千成しゃもじ」が誕生しました。
長年続く祭りにはさまざまな支えがあり、まさに起源となった恩への「ありがたや(感謝)」のかたち、そして歴史が育てた博多の心意気のかたちが今では「博多どんたく港まつり」となりました。