毎年7月の「大暑」から8月の「処暑」までのおよそ1ヶ月間に渡って行われている「打ち水大作戦」。
「真夏の温度を2度下げよう」をスローガンに、お風呂の残り湯などをアスファルトにまいて、体感温度を下げるという試みです。ヒートアイランド現象が叫ばれ出した2003年から始まり、とうとう今年で10年目を迎えました。
すっかり「市民運動」として定着した「打ち水」ですが、冷房が普及していなかった時代はごく当たり前に行われていたものでした。
暑さ対策としての打ち水は江戸時代から始まっているようです。「あー暑いー、冷房入れてー!」じゃなくて、「あー暑いー、水撒きしよう、水撒き!」みたいなかんじだったんでしょう。
冷房が当たり前の私たちの生活からは、冷房どころか扇風機すらない時代の暑さは想像つきません。風鈴の音で耳からの涼しさを感じ、氷に見立てた「江戸切子」のグラスで涼を感じるなんて、すべてイマジネーションに頼る「脳内」暑さ対策…。見習いたいと思ってもなかなか見習えるもんじゃありません。
そんな中で打ち水は、体感温度を少しでも下げてくれる、ほんのわずかなリアル暑さ対策だったんでしょう。しかしその打ち水もやはり涼のイメージ…視覚的な部分での涼しさもあると思います。
もともと打ち水は古代から「穢れ(けがれ)」を払うために神社で行われていたものです。今でも打ち水された神社の石畳を見ると、さっぱりとして清々しい印象を受けます。
ジメジメとして、カビやら雑菌が繁殖しやすい日本の夏、かつてはこうしたなんだか分からないけど不快なものはすべて「穢れ」として見られていましたから、水を撒いたり、塩を撒いたりして穢れを祓っていたようです。
「水に流す」という言葉がありますが、悪いことはすべて(雑菌や暑さも)「水が洗い流してくれる」という感覚だったんじゃないでしょうか。
最近は水では流しきれない有害な物質もあるようですが、せめてこの暑さだけでもひとときの打ち水で打ち払いたいものです。