江戸時代の最強治安システム!?町は門限で管理、交番・消防も一体化した「番屋」のメリット

歴史 好き太郎

交番・消防署の役割を担う「番屋」

江戸の街では、民間の手による自治組織が形成されていますが、実はその治安を担っていたのはそれぞれの町の自警組織でした。

池波正太郎の『鬼平犯科帳』にはたびたび「番屋」が登場しますが、これは町の中に怪しい者がいないか見張るための詰め所のことで、「自身番屋」とも呼ばれています。

もともとは、番屋にはそこの地主が「自身番」として警固にあたっていましたが、やがて時代が下ると町屋敷の表店・裏店(長屋)を管理する家主(大家)が詰めるようになりました。

そして犯罪者や不審者を取り押さえたときには、とりあえず自身番屋に拘束し、尋問などを行っていました。いわば、番屋は江戸時代の自警組織における交番のようなものだったのです。

また、江戸の町には火の見櫓が設置されていることが多かったのですが、いざという時に火事をいち早く知らせるための火の見梯子や半鐘も備えていたといわれています。

つまり、番屋は交番だけではなく、消防署の役割も兼ね備えていたのです。さらに言えば、町奉行所の仕事の補完機関としても機能していました。

門限があった「木戸」

また、当時の町や長屋の出入り口には、防犯・防火のために「木戸」が設置されていました。そこは町内で雇った「木戸番」が住み込みで管理し、木戸を往来する人の確認を行っていたのです。

木戸の開門は明六ツ(午前6時頃)、閉門は暮四ツ(午後10時頃)と決まっており、門限が来ると閉められます。

木戸が閉まっている間は、急用の医者と産婆(助産師)以外の通行は禁じられていました。

しかし、どうしてもやむを得ない場合は木戸番に理由を話して、木戸の左右に設けられた潜戸から通してもらうことも可能でした。

3ページ目 木戸・木戸番の活用とメリット

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