前回の記事に引き続き、昭和5年出版の松村春水「実話 唐人お吉」に沿い、「唐人お吉」と呼ばれた、幕末の下田の芸妓で、当時のアメリカ駐日総領事・タウンゼント=ハリスに雇用された、斎藤きちの数奇で哀切な一生を紐解きます。
※前回の記事はこちら↓
幕末の犠牲者…17歳の芸妓「唐人お吉」が国難を救うために背負わされた哀しき運命
幕末という名の風雲は、その時代を生きた多くの人間を呑み込み、彼らの人生を変えました。時代が違えば名もなき寺子屋の先生で終わったような人物が攘夷志士になり、泰平の世であれば良い政治家だった人物が難局を…
実際に柿崎のアメリカ領事館に到着してみると、ハリスは病気で、芸妓遊びどころではありませんでした。きちは驚いた事でしょう。
きちがどのくらいの期間ハリスの元に通ったかは、諸説あります。3ヶ月世話をした説、1週間で暇を出された説、奉行所の記録によると、たったの3日間だったとか。
いずれにしてもわずかな期間ですが、きちは病気のハリスを寝ずに看病し、ハリスが好きな牛乳を苦心して手に入れ大層喜ばせたと伝わります。きちは、相手が外国人だからと言って対応を疎かにしない、心優しく芯の強い女性だったのです。
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