年貢が収入源
戦国時代の武将の名前はたくさん知っていても、彼らがどのような生活をしていたかについては、知らない人も多いと思います。
今回はそんな武将たちの中でも、いわゆる「家臣」に位置づけられていた人たちの日常生活がどのようなものだったのか、ご紹介します。
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まずは、家臣たちの収入源について。彼らはどこから収入を得ていたのかというと、土地からの年貢が主でした。
一般的に、当時は主君が家臣に土地を与え、家臣が奉公することによって主従関係が成り立っていました。家臣はそれを「一所懸命」の地とし、与えられた土地の地名を名字とすることもありました。
それらの土地から年貢を得ることで、家臣たちは収入を得ていたのです。中世の武士は、一か所の領地を、命にかけて生活の頼みとしました。これを表す「一所懸命」が語源となって、「一生懸命」という言葉が生まれたのです。
そして戦争が起こると、家臣は主君のために必死に戦い、最終的に勝利を得た場合は、新たな土地を与えられました。
逆に、家臣が主君を裏切ったり、何か不始末をした場合は、所領を取り上げられることもあったのはご承知の通りです。
ただ、家臣は土地を得たとしても、不作のときには思ったような収入が確保できません。不作続きとなると農民が他領に逃亡し、耕作地を放棄することもありました。
そういうときは人返しといい、他領に逃亡した農民を自領に連れ戻すことがあり、大いに苦労したようです。
ただ、例外的なケースとして商人的な性格を持つ家臣も存在し、農産物や海産物の売買により収入を得る者もいたようです。