戦国時代の合戦、実は「呪術合戦」だった!呪術師としてのルーツを持つ「軍師」の歴史を紹介

歴史 好き太郎

ルーツとしての呪術師

戦国時代には、戦略や戦術を考案する軍師が重要な役割を果たしました。陰で大名たちを支え続けた彼らは、どんな存在だったのでしょうか。今回はその実態に迫ります。

まず日本史上、文献で軍師あるいはそれに類似した人物の姿が確認できる最も古い記事は『日本書紀』の天智10(61)年正月のものです。そこに、百済から日本に渡ってきた四人の兵法者の名があり、「兵法に閑(なら)へり」とあります。

渡来人ではない軍師としては、吉備真備が挙げられるでしょう。彼は中国で儒学・天文学・兵学を学んでおり、日本では陰陽道の先駆者とされています。実は陰陽道などの占いと、軍師は深く結びついてもいました。

ただ、彼が合戦で軍師として活躍したという話はありません。

源義家の軍師とされる大江匡房も本来の職務は陰陽師で、陰陽師としての技能を軍師としての仕事にも振り向けていたというのが本当のところでした。

源頼朝も、住吉の神官で陰陽師だった住吉小太夫昌長(すみよしこだゆうまさなが)に「伊豆旗上げの日」を占わせており、合戦の日時を占う呪術者としての陰陽師が軍師のルーツだったことがうかがえます。

合戦のスケジュールを決める

武将にとって、出陣の日と合戦の日をいつにするかはとても大切なことでした。というのは、当時は十死日絶命日などの悪日の考え方があったからです。

しかも、それらは暦などに書き込まれているわけではなく、総大将である武将の生まれ年や干支などによって変わる性格のものでした。

これを戦国武将本人が頭の中に入れておいて吉日か否かを判断するのは難しく、必然的に天文や暦法に通じた軍師が必要となります。

出陣の際、いつ合戦を始めるか、どの方角から攻めるのかを占うのが軍師の仕事でした。軍師が神前でくじを引いて攻撃方法を決めることもありました。

また、予定した日に出陣できない場合は、軍師が調伏の矢(魔除けの矢)を射込んで、形の上で出陣したというケースもあります。

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