戦国時代が始まって間もない頃、まるで現世に現れた鬼のような規格外の人物が生きていました。
その者の名前は三浦義意(みうら-よしおき)であり、平安時代から続く三浦家の分家である相模三浦家の最後の当主と称される人物です。
今回は義意のことを鬼と呼んでもいいような伝説級の話を紹介します。
規格外な身長だった
義意は明応5年(1496)に生まれます。父の三浦道寸(みうら-どうすん)は北条早雲と対立中だったため、義意は家督を譲られた15歳の頃になると1人の武将として戦場に赴くことになります。
ここで驚きなのが、義意は身長です。戦国時代の平均身長は154センチですが、義意は2メートル27センチもありました。
当時からしてみれば義意のような大柄な武将がたたずんでいたら、味方は心強いと思い、敵は恐怖におののいたことでしょう。
また、永正10年(1510)から永正13年(1513)の3年間にわたって早雲と雌雄を決した新井城の戦いでは、鉄の厚さが6センチの鎧を着て戦ったと言われています。
しかし、本来の鎧の厚さは3センチで、上記の厚さだと重すぎるので創作だったのではないかと考えられています。義意の体格だと厚さ6センチの鎧も難なく着て戦ったと思ってしまいそうですね。