否定される聖徳太子の功績
冠位十二階や十七条の憲法の制定で知られる聖徳太子は、紙幣の肖像に採用されたこともある人物です。おそらく、日本で最も有名な偉人のひとりと言っても過言ではないでしょう。
聖徳太子の偉業は、次の点に集約されます。彼はまず、遣隋使を派遣して大陸の制度を吸収しました。そして日本初の明文化法である十七条の憲法を制定し、天皇中心の国づくりを掲げます。
さらに、血筋を重視する社会を改変すべく、冠位十二階による能力主義を取り入れました。
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詳しい内容は忘れても、多くの人が、このような大まかなイメージで捉えていることでしょう。
しかし、こうした評価は近年急速に変化しています。
極端なものでは、聖徳太子は実在の人物ではなかったという説がありますね。
しかしここでは、もう少し地に足がついた新説として、冠位十二階は聖徳太子ではなく、他の豪族もしくは天皇が大陸の制度を参考にしてつくったものだと考えられるようになったという説などをご紹介しましょう。十七条の憲法の制定についても、聖徳太子の関与を疑う意見があります。
研究の進展により、聖徳太子は国政の主導者ではなく、国政の協力者として評価する向きが強くなっているのです。