いわゆる女流日記文学が流行した平安時代で、己の欲望のままに生きた1人の女性がいました。和泉式部と呼ばれた彼女は、離婚や元彼氏の死を乗り越えて新しい彼氏と出会います。
彼女が綴った日記のフィナーレはどのように完結するのでしょうか。
さっそく、みていきましょう。
【前編】の記事はこちら:
彼氏の弟も好き♡欲望のままに生きた平安時代のメンヘラ「和泉式部」が日記に綴ったヤバすぎる恋愛事情【前編】
新しい彼氏と情熱的な恋の行方♡
前彼氏・為尊親王を病気で亡くし、その実の弟・帥宮敦道と肉体関係を結んだ和泉式部。新たに誕生したこのカップルは、宮殿内で瞬く間に噂になります。
平安時代の貴族は基本的に暇な生活を送っており、その有り余った時間で恋バナや誰かの不倫・浮気について噂していました。和泉式部と帥宮敦道の浮いた話も根拠なく拡散され、2人は離れたり戻ったりを繰り返しながら、情熱的な契りを交わして愛を再確認したそうです。
このような状況に限界を感じた和泉式部は、出家を決断して石山寺という寺に篭ってしまいます。
束の間の禁欲とやっぱり大好きな彼氏♡
石山寺に篭った和泉式部ですが、朝も昼も晩も彼氏のことが忘れられません。決死の覚悟で石山寺にきたにもかかわらず、浮世と断絶することができなかったのです。
束の間の禁欲生活から逃げ出し、今まで以上に愛を誓い合った和泉式部と帥宮敦道はより深い関係へと進展します。それは、帥宮敦道が提案した「我が家に来ませんか?」というものでした。基本的には結婚のことを指していますが、帥宮敦道には妻・北の方がいます。つまり、このお誘いは「妾(愛人)になりませんか?」というものでした。
表面上は2番目の女として扱われるわけですから、勝気な性格の和泉式部は素直に納得しなかったのではないでしょうか?
けれど、和泉式部が下した最終決断は、帥宮敦道の妾になることでした。大好きな彼氏と過ごす時間が増えることに、彼女の心が揺れたのかもしれません。
こうして形式的にも結ばれた和泉式部と帥宮敦道は、イチャラブ生活を満喫します。
3ページ目 北の方が受けた侮辱と徹底抗戦(北の方視点) 〜 和泉式部の企み