知ってましたか?3月4日は「ミシンの日」ですが、これは単なる語呂合わせで、3月4日にミシンが初めて日本にもたらされたわけではありません。
1854年、米国アジア艦隊司令官、マシュー・カルブレイス・ペリー率いる黒船が、日本に開国を要求して、二度目の来日を果たしました。その際、将軍家定夫人・篤姫に贈られたのが、アメリカはウィルソン社製のミシンだといわれています。
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ところが、この機械が実際に使用されたかどうかは、わかっていません。
1860年には、新見正興を正使とする遣米使節に従った中浜万次郎(ジョン・万次郎)が、母親へのみやげに、アメリカからウィルソン社製のミシンを持ち帰っています。
1862年になると、越後の人・山岸民次郎という人物が開業したという洋服裁縫店が、江戸に出現し、また横浜でも、外国人が経営する洋裁店に勤める日本人が見られるようになります。
ラウジー商会の関清吉や、ブラウン夫人に雇われた沢野辰五郎などです。二人とも、洋裁師をする前は、足袋職人だったようです。
1868年、2月24日付の「中外新聞」創刊号には、開成所が出した広告が掲載されています。それによると、当時「シウインマシネ」(ソーイングマシン)と呼ばれたミシンの使用法を習いたい希望者を募集したものでした。
1900年6月頃になると、それまで主流だったウィルソン社の手回し式のものに代わって、同じくアメリカのアイザック・シンガーが改良したシンガー・ミシンが日本にも初輸入されるようになります。