敵将に一騎打ちを要求!侍女34人の”女軍”を率いて毛利軍と戦った戦国時代の女傑「鶴姫」の活躍

拾丸

天正2年(1574)に起きた三村氏と毛利氏の戦い「備中兵乱」。その戦いの中で侍女を率いて毛利氏と戦った勇猛な女性がいました。

その女性の名前は上野隆徳(うえの-たかのり)の妻である鶴姫。備中松山城城主・三村家親の娘でした。

今回は備中兵乱で鶴姫が戦った理由とその活躍及び鶴姫の夫・上野隆徳についてご紹介します。

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仇敵が味方に付いたことで備中兵乱が勃発

鶴姫の活躍を紹介する前に、備中兵乱がどのようにして起こったのか紹介します。

備中兵乱が起こる前の備中国(現在の岡山県西部)は、毛利元就の元で力を発揮した三村家親がほぼ全域を有しておりました。

しかし永禄9年(1566)、家親は宇喜田直家によって暗殺される事態に見舞われます。

跡を継いだ三村元親は仇を討つべく何度も戦いますが、直家を討てずに時間だけが経過していきました。

そんな折、天正2年(1574)に直家は毛利氏との同盟関係を結びます。この事実を知った元親は家臣たちの反対を押し切って織田信長と手を結びました

元親離反を一大事と見た毛利輝元は小早川隆景を総大将に約8万の兵を三村氏討伐に向けて進軍させました

2ページ目 上野一族の悲劇

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