徳川家康の本陣まで突入!「大坂の陣」で見事な武勇を見せた猛将・毛利吉政(勝永)の活躍

拾丸

『どうする家康』に登場し、大坂五人衆の1人として知られる毛利勝永こと毛利吉政(演:菅原卓磨さん)。

彼は真田信繁(幸村)同様、大坂の陣で活躍するのですが、知名度が低いためにどのような活躍をしたか詳しく知らない方もいるかと思います。

実は「天下の兵総崩れせしは、偏に真田毛利両氏が功ならずや」(『翁草』)と残されていることからわかる通り、信繁に劣らぬ活躍をしておりました。

今回は吉政の大坂の陣での活躍と大坂の陣前の生い立ちをご紹介します。

森から毛利へ改姓

吉政は森吉成の子として天正6年(1578)に誕生します。父の吉成は豊臣秀吉の古参の家臣であり、黄母衣衆の1人でした。

また、天正15年(1587)の九州平定、肥前国人一揆鎮圧の功績により、豊前国小倉6万石を拝領。小倉城を築城すると共に、内1万石を吉政に与えました。

この頃から、秀吉の指示によって森姓から毛利姓に変更しています。一説にはこの改称には毛利輝元の推薦があったといわれています。

それを裏付けるように、天正16年(1588)に吉政は輝元の接待役に任命され、能興行で太鼓を披露しました。

慶長2年(1597)には父と共に慶長の役に従軍。吉政は日本人が朝鮮の地に建てた蔚山(ウルサン)倭城で窮地に陥っていた加藤清正を救援した上で、明・朝鮮連合軍を撃破する活躍を見せました。

また、朝鮮で入手した犬を豊臣秀次に贈ったことで、礼状を貰っています。

3ページ目 関ヶ原の戦いと改易

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