江戸開発に大いに貢献!「神様仏様伊奈様」と慕われた伊奈忠次の生涯と功績を紹介【どうする家康】

拾丸

どうする家康で伊奈忠次(演:なだぎ武さん)が登場しました。ですが、皆さんの中には忠次の名前をどうする家康で初めて知ったという方もいるのではないでしょうか。

それくらいマイナーな人物ではありますが、実は家康の江戸開発に多大な貢献をした人物でありました。

そこで今回は、江戸の開発に携わった功労者・伊奈忠次がどんな人物だったのか、功績や人物像に焦点を当てて紹介いたします。

2度の出奔を行った

忠次は天文19年(1550)、伊奈忠家の嫡男として生まれます。永禄6年(1563)に起こった三河一向一揆では、父が一向一揆勢に加担したことで出奔を言い渡されました

その後、長篠の戦いで陣借りをする形で、松平信康の軍に従軍。功績を残したことで、信康の家臣として仕えました。

しかし、天正7年(1579)に信康が自害したことで再度出奔し、伯父の貞吉がいる和泉国・堺へ移りました。

小栗同心の1人として活躍

本能寺の変後に起きた伊賀越えでは堺にいたことにより、徳川家臣の小栗吉忠と共に脱出に貢献。その功績により、忠家が持っていた旧領地である小島を拝領されました。

以後、忠次は吉忠が率いた一族郎党衆・小栗同心の同心となり、天正14年(1586)から行われた5ヶ国(駿河・遠江・三河・甲斐・信濃)総検知を実施しました。

また、天正18年(1590)に起きた小田原征伐では、小荷駄による兵糧の輸送や街道整備を担う活躍を見せます。

3ページ目 代官頭として江戸開発に貢献

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