【前編】では、江戸時代に薩摩藩がどんどん財政難に追い込まれ、多額の借金をせざるを得ないところまで追い込まれた経緯を解説しました。
参考にしちゃダメ!?財政難に陥った薩摩藩の驚くべきブラックな藩政・経済改革【前編】
窮乏する薩摩藩国の借金といえば国債を思い浮かべる人が多いと思いますが、国政を預かる側が借金を抱えるのは今に始まった話ではありません。実は、江戸時代には薩摩藩が500万両(現在で一兆円ほどの価値)も…
【後編】では、この借金問題を解決するために薩摩藩が採った驚くべき方法を説明します。
250年の返済期限
薩摩藩の藩政改革は、文政11年(1828年)に藩主となった島津斉興と、彼に改革主任として登用された家老・調所広郷(ずしょ・ひろさと)の二人が中心となって行われました。
改革の中心となったのは、徹底した倹約による財政改革です。また領内の商業活動や交易を奨励し、領内外の商人との結びつきを強化。琉球王国や外国との密貿易も行います(ちなみに調所はこの密貿易が幕府にばれて服毒自殺に追い込まれました)。
さらに、借金の返済期限を勝手に無利息の250年分割払いというあり得ない内容に変更し、そのかわり商人には砂糖販売の利権を与えて、この事実上の踏み倒しを承諾させるという手段を採ったのです。
ちなみに黒砂糖を専売制にしたことで、当時砂糖を生産していた奄美大島・徳之島・喜界島の人々の生活は窮乏しました。
こうした改革によって薩摩藩は年収を増やし、備蓄金を増やして借金を返済していくことに成功します。しかし、ここまでやっても完済には至りませんでした。