子どもの数はなんと50人!第52代 嵯峨天皇の知られざる姿に迫る

雲川ゆず

日本には古代から現代まで、多くのさまざまな天皇が存在してきました。有名な天皇は何人もいるものの、もっと有名になっても良いのでは?と思うような方もいます。

今回ご紹介する天皇もそのうちの一人。名前は嵯峨天皇(さがてんのう)です。今回の記事では、彼の政治面以外の知られざる姿に迫っていきたいと思います。

嵯峨天皇ってどんな人?父はあの有名な人物

嵯峨天皇は、794年に平安京に都を移したことで有名な桓武天皇の第二皇子です。兄に「薬子の変」で知られる平城天皇がいます。786年(延暦5年)に生まれ、日本の第52代天皇として809年(大同4年)から823年(弘仁14年)まで在位しました。

政治面で嵯峨天皇が行ったのは、818年の弘仁格(こうにんきゃく)を発布し死刑を廃止したり、治安維持のための検非違使(けびいし)の設置、また国が直営する「公営田(くえいでん)」などを導入しました。

文化面での活躍も忘れずに!

嵯峨天皇は、文化面の発展にも大きな役割を果たしました。たとえば、書道に優れており、空海と橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに「三筆(書道に優れた人々)」に数えられています。また、勅選漢詩集の「凌雲集」「文華秀麗集」にはたくさんの詩が残っています。

さらに、それまでは帰属にとっては「梅」を見ることが一般的でしたが、初めて公式の「桜の花見」を行ったのも嵯峨天皇と言われています。加えて、大沢池を背景に、嵯峨天皇が花を活けたのが華道の始まりとも言われています。

3ページ目 子どもの数は何と50人!

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