戦国時代に幕を引いたのは豊臣か徳川か…決定的な「乱世の終わり」はいつだったかを考察

乱世はいつ幕を閉じたか

「戦国時代が終わったのはいつか」と問われたら、日本史が好きな皆さんはどう答えるでしょうか。

おそらくこれは、日本史に詳しければ詳しいほど迷ってしまうのではないでしょうか。実際、研究者の間でも、戦国時代がいつ始まっていつ終わったのかについては諸説あります。

そうした説をざっと紹介すると、まず、豊臣秀吉によって行われた奥州仕置きで、全国の国分けにケリがついたときを区切りとするものがあります。

また、関ケ原の戦いを文字通り「天下分け目」だとして戦国時代の終わりだとする考え方も存在します。

ちなみに時代区分の呼び名として、織田信長が京都から足利義昭を追放したことで、室町幕府が幕府として機能しなくなった時点から織豊時代と呼ばれることも多いです。もちろん、多いといってもあまり素人向けではないでしょう。

ただ、客観的に見て決定的だと思われるのは、やはり1615年の大坂夏の陣によって豊臣家が滅亡したことでしょう。

これによって、天下人である徳川に対抗できる大名はいなくなり、結果的に武力衝突の芽は完全に摘まれたことになります。これを、当時の元号である「元和」と、武器を収めることを意味する「偃武」という言葉をあわせて元和偃武といいます。

個人的には、研究者の学説はさておき、やはりこの時点が「乱世の終わり」と呼ぶにふさわしいと思うのですが、いかがでしょうか。

3ページ目 戦国時代の気風の残滓

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