今年5月に名監督・新藤兼人が100歳で亡くなりました。死ぬまで映画を撮り、脚本を書き続けた監督。監督の出身地広島をはじめとして各地で追悼の映画会が開かれて、賑わいをみせているようです。というわけで、ささやかに我が家でも追悼上映会を企画♪レンタルDVDを借りに行きました。ところがやはり名監督の追悼上映会、皆さん各々で密かに行なっていらっしゃるんですね。監督の代表作「原爆の子」や、モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞し世界に監督の名を知らしめた「裸の島」などは、見事にすべて借りられていました。かろうじて1本残されていた初期の代表作「縮図」を鑑賞致しました。
「縮図」は昭和28年の作品。代表作「原爆の子」の翌年に撮影され、のちに妻となる女優の乙羽信子さんとのコンビが確立した頃、まさに乗りに乗っていた頃の監督が撮った映画です。新藤監督は社会派・ヒューマニズムの監督として扱われていますが、一方で男と女、人間の性についても深く掘り下げた作品が多くあります。この「縮図」も貧しい女性が一家のために芸者に身を落としていく様子を描く社会派作品である一方で、男女の「性」について鋭く捉えた作品でもあります。
物語は昭和10年代の東京。乙羽さんが靴屋の貧しい娘・銀子を演じます。幼い妹や弟、両親のために身売りして、芸者になっていく銀子。しかし芸者は所詮お金で肉体を買われる商売。置屋の旦那にいいように扱われたり、大地主の跡継ぎの妾にされそうになったり、男との関係には常に金銭が介在します。そんな我が身を嘆いてたびたび家に帰る銀子ですが、結局貧困から抜け出すことができない家族のために芸者の世界へと戻っていきます。
芸者という売買される「性」を描いた作品として、リアリティーがあり傑作だと思います。オープニングでいきなり、裸の芸者たちの後ろ姿のようなイメージ映像が流れ、演出効果の斬新さにちょっと度肝を抜かれました。乙羽さんが演じるお座敷芸「狐拳」や「かっぽれ」なども見もの。さすが元宝塚女優だけあって、踊りや歌も芸者さんになりきっています。
乙羽さんはこの頃29歳、まさに女優・乙羽信子さんが花のように美しい時代。そしてちょうど新藤監督と不倫の関係が、巷で囁かれ始めた頃でした。(その後20年以上経って、監督の奥さんの死後に二人は結婚しますが…。)監督はエッセイの中で「性をテーマにしてきたのは妻子がいながら乙羽さんとの関係を続けたから」と述べていますが、こうした二人の関係抜きには、新藤監督の作品は生まれなかったのだと思うと、芸者銀子の切ないやるせない女の性(さが)がよりリアルに迫ってくるようでした。
この新藤監督が描く性のリアリズムは歳を重ねるごとに激しくなり、「母」(昭和38)、「鬼婆」(昭和39)、「悪党」(昭和40)「本能」(昭和41)、やがて老いの性を描く「ぼく東綺譚(ぼくとうきたん)」(平成2)へと続いていきます。そしてどの作品にもパートナーの乙羽さんは出演して、新藤監督と「人間の根源である性」を追求していくのです。
この追悼上映会、たて続けに行うと、あまりのインパクトの強さに目まいがしそうです。たまーに、濃ゆい男女の関係について考えたくなった時に開催しようかなと思っているところです。