北条泰時の菩提寺の常楽寺から大船切通し六国見山を抜けると、北鎌倉の明月院にたどり着きます。
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そして、北鎌倉駅から、大船方面に向かって、北鎌倉隧道を歩いていくと、向かって右手のほうに少し小高い山のようなところがあり、そこには、八雲神社が鎮座しています。
鎌倉市内には4つの八雲神社がありますが、この八雲神社は、かつては「鎌倉祇園社」や「祇園天王社神社」などと呼ばれ、もともと「牛頭天王」として信仰されていました。神社に伝わる話によれば、永保年間、源義光が奥州へ向かうのに際し、鎌倉に疫病が流行している様子を見て、京都祇園社の祭神を勧請。それを祀ったのが始まりと伝わります。
一方で、室町時代にこの地に住んでいた上杉憲房が、武運長久を祈るために京都から勧請したとする伝承も残されています。
応永年間には、義光の子孫とされる佐竹氏の屋敷に祀られていた祠が合祀され、佐竹天王と称しました。
こちらの神社には、安倍晴明ゆかりの石があり、周辺には安倍晴明に関わる伝承が多く残されている地域でもあります。
晴明は、平安時代の伝説的な陰陽師として知られ、様々な逸話を持つ人物です。
この石は、鳥居から入って、社殿に向かって右側のところにあります。 「晴明石」「びっこ石」とも呼ばれ、火難・災難よけの神の石といわれています。もともとは、鎌倉街道沿いの「十王堂橋」の袂にあったものを、ここに移してきたのだとか。その経緯については、以前Japaaanでも取り上げています。
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この石には、「晴明石」であることを知らずに踏むと足が丈夫になるが、知って踏むと不幸に見舞われるとされる謂れがあります。この「晴明石」のように、人々に対して災いをもたらすものは安倍晴明に関する説話の中でも、かなり珍しいのだとか。この石の後ろは、それなりの崖になっています。
左側には、大きな石碑があり、その石碑の下のほうには、庚申塔がたくさん並んでいる崖がありました。
この中で、鎌倉最古と言われている庚申塔が、「寛文五年」(1665年)の銘があるもので鎌倉市の有形民俗資料となっています。
崖の上にある神社なので、いつ崩れるか、ちょっと怖いのですが、この八雲神社から見る景色は一見の価値があります。