20世紀に世界に広がる
テーブルゲームの代表格のひとつ・麻雀ですが、現在のようなスタイルが完成したのは戦後のことです。
もともとの麻雀の歴史はとても古く、ルーツは明の時代の中国で生まれた「馬弔(マーチャオ)」という紙牌ゲームにまでさかのぼります。
これと、「骨牌(クーパイ)」と呼ばれるゲームが融合して今の麻雀の形になったといわれており、中国に駐留していた外国人を通じて欧米や日本、アジア諸国に伝わっていきました。
特に世界各地で爆発的に流行する大きなきっかけとなったのは、1919年に欧米向けに麻雀牌の輸出が始まったことでした。
日本には、それよりも前の明治時代末期には既に伝わっています。かの夏目漱石は明治42(1909)年に、朝日新聞で連載していた中国歴訪時の紀行文に「中国で麻雀というものを見た」と書き記しています。
また、同年に四川省から日本に持ち込まれた麻雀牌は、現存する最古の麻雀牌とされています。
戦前の日本での盛衰
大正期になると、麻雀は文人や上流階級で楽しまれるようになりました。厳密なルールも雑誌や新聞で紹介されるようになり、一般大衆にも浸透していきます。
大正13(1924)年6月には北野利助が『麻雀の遊び方』を著し、7月には日本で初めての麻雀の手引書となる『支那骨牌・麻雀』が出版されて10万部を越すベストセラーとなりました。
さらに東京麻雀會や南々倶楽部など、麻雀愛好者による団体や同好会が東京・鎌倉・大阪などの都市で次々と設立されます。
昭和初期には第一次のブームを迎え、昭和2(1927)年には銀座に日本で初めての貸卓麻雀荘「南山荘」が開業。こうしたいわゆる雀荘は、その後のたった2年間で東京だけでも1500軒も出現しています。
さらに昭和4(1929)年には各団体の代表による会議で麻雀のルールの統一がはかられ、昭和6(1931)年には日本麻雀聯盟が主催する全国麻雀選手権大会が開かれました。
この大会の参加者は500名以上にのぼり、1日では決着がつか後日続きが開催されるほどの盛況ぶりでした。
しかし、一方で麻雀は賭博行為と結びつくようになり、昭和8(1933)年頃から厳しく取り締まられ、戦争の影響もあり衰退していきます。