主人を裏切り、下剋上をたくらむ輩が少なくなかった戦国時代。なかには、主人の心の隙間に入り込み、巧みに操った人物もいました。
今回は、主人の信頼を得ただけでなく妊娠中の妻を差し出し、次期藩主候補を暗殺した侍の下剋上騒動を紹介します。
内藤義概
1619年9月15日、磐城平藩2代目藩主・内藤忠興の長男として誕生した内藤義概。
1670年に家督を継いでから仏閣や寺社の再建した人物です。さらに、1662年に発生した近江・若狭地震による、津波の脅威を目の当たりにしてから、防風林の植栽に力を注いだと言われています。
そんな内藤義概には長男「義邦」、次男「義英」、三男「義孝」の跡継ぎがいました。
しかし、長男の義邦が若くして亡くなってしまい、それからの内藤義概は俳句の世界にのめり込むように。次第に藩政を行わなくなっていったのです。
野心家・松賀族之助
内藤義概に代わって、藩政の実権を握ったのが小姓出身の家老・松賀族之助。松賀族之助は領民に対して重税を強いるなど、自身の権力維持だけを考えた、自己中心的な政治を行っていました。
あるとき、磐城平藩を乗っ取ろうと画策した松賀族之助は、妊娠中だった妻を内藤義概の側室として差し出します。妊娠のことを知らなかった内藤義概は、松賀族之助の子を自分の子どもだと信じてまんまと育てることに…。