大東亜戦争に敗れて77年。以来、日本はこれといった戦火に巻き込まれることなく過ごしてきました。
戦争がないのは何よりなのですが、平和に慣れ過ぎてしまった人々が安全保障に対する危機感を失い、いわゆる「平和ボケ」なんて言われ出したのはいつからでしょうか。
もう半世紀以上も経っているので無理もない……と思いきや、鎌倉時代の武士たちにも「平和ボケ」してしまった人々がいたようです。
今回は鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』より、とある御家人のエピソードを紹介したいと思います。
新調した鎧をネズミにかじられ……
その日は晴れ。本日の議題は「鶴岡八幡宮の放生会(ほうじょうえ。夏のメインイベント)で、護衛スタッフ(御家人たち)のドタキャンが多すぎる件」。
鎌倉殿ひいては八幡大菩薩にご奉仕できる武士として最高峰の名誉であるにもかかわらず、何と言う体たらくでしょうか。
(名誉な反面、御家人たちにとっては負担が大きいため、中には敬遠する者も少なからずいたのです)
さすがにこれは何とかしなくちゃ……北条義時(ほうじょう よしとき)・北条時房(ときふさ)・大江広元(おおえ ひろもと)・三善康信(みよし やすのぶ)・二階堂行光(にかいどう ゆきみつ。行政の子)が緊急ミーティングを開きました。
「……で、連中は何と言い訳を?」
「アイツは身内の不幸で喪中、ソイツは体調不良……まったくドイツもコイツも、神事を何と心得てやがるんだ!」
「ん、吾妻四郎(あづま しろう。助光)は?特に理由もなく欠席したのか?」
「「「ふざけやがって!」」」
という訳で、さっそく吾妻助光を呼び出して訊問します。
「おーおー吾妻の。てめぇハレの神事をバックレたぁ、大したご身分だなぁオイ?」
「そもそも昨日今日の新参じゃねぇンだから、若ぇ連中に示しがつかねぇべ!」
重鎮たちに責められて、吾妻助光は謝るよりありませんでした。