2023年から放送が予定されているNHK大河ドラマ『どうする家康』。現在放送中の『鎌倉殿の13人』が好評だけに、放送前から一層の注目を集めています。
今回は、『どうする家康』の主人公・徳川家康が京都に構えた二条城と、実際に京都防衛を担った2つの城郭寺院「知恩院」と「金戒光明寺」について、2回にわたりお話ししましょう。
【前編】では、江戸幕府が築いた二条城について、ご紹介します。
二条城は政治のための御殿だった
京都の城郭というと誰もが二条城を思い浮かべるでしょう。二条城は、関ケ原の戦いで勝利した徳川家康が、1601(慶長6)年に上洛時の宿泊所として築いたお城です。
しかし、二条城は平城であまり防御力に優れているとはいえず、戦闘用の城郭というよりは、徳川家の政庁として役目を担っていました。
その証拠に、1626(寛永3)年の後水尾天皇の行幸の後は、多くの建物が撤去され、1634(寛永11)年の第3将軍徳川家光の入城後は、将軍の入城が絶えます。
その後、二条城は半ばほったらかし状態のままで放置され、荒廃が進んで行きました。
そして、1860(万延元)年に起きた京都地震では、櫓を始めとする建物に大きな被害が生じてしまうのです。