人身売買、ダメ絶対!鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』に見る鎌倉幕府の禁止令と社会背景

人間を商品として取引する人身売買は、言うまでもなく許すべからざる人権侵害です。

しかし貧しさから身売りせざるを得ない者たちもおり、21世紀の現代でもなかなか根絶できない状況が続いています。

となれば当然のごとく鎌倉時代でも人身売買が問題視されていたようで、幕府当局によって人身売買に関する規制が行われました。

鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』に書かれたその内容は、果たしてどんなものだったのでしょうか。

妻子や従僕、挙句の果てには自分自身まで……

人倫賣買事。向後被停止之。是飢饉比。不諧之族或沽却妻子所從。或寄其身於冨有之家。爲渡世計。仍以撫民之儀。無其沙汰之處。近年甲乙人面々訴訟。依有御成敗煩也。
※『吾妻鏡』延応元年(1239年)5月1日条

【読み下し】人倫売買のこと、向後これを停止(ちょうじ)せらる。これ飢饉のころ、不諧(ふかい)の族(ともがら)あるいは妻子所従を沽却(こきゃく)し、あるいはその身を富有の家に寄せて渡世の計となす。よって撫民(ぶみん)の儀をもってその沙汰これなきところ、近年甲乙人(こうおつにん)面々に訴訟し、御成敗の煩いあるによってなり。

【意訳】人身売買について、今後はこれを禁ずる。これまで凶作の年になると、食い詰めた者が妻子や従僕を売り払い、あるいは自分自身を豊かな家に身売りすると言ったことが相次いだ。
これまで「生活に困っているなら仕方ない」と特に措置も講じずに来たが、近ごろになって人身売買に関する訴訟があまりにも多く、事務負担が大きくなりすぎたためである。

……とのこと。甲乙人とはありふれた一般庶民を指し、村人A(甲)、B(乙)といった感覚。それだけ誰も彼も訴訟を乱発したのでしょう。

3ページ目 「買ってくれ」より「飼って(養って)くれ」

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