御家人の定義とは?最後まで「頼朝の武士団」であろうとした鎌倉幕府の理想と現実

子供のころ、日本史・鎌倉時代の授業で御恩と奉公について学びました。

将軍(主君)は御家人に対して御恩を与え、御家人(家臣)は奉公で将軍に報いる主従関係が、幕府による支配体制を維持していました云々。

ところで御家人と一口に言っても、その定義は何でしょうか。ざっくり言えば御家人とは「幕府に仕える武士」。であれば鎌倉幕府はあらゆる武士たちの頂点に君臨しているのだから、すべての武士が御家人だったのかと思えば、実はそうでもなかったようです。

頼朝に仕えた者と、その子孫を御家人とする。

確かに幕府は全国の武士(及びその領民)たちを支配していました。しかし武士たちの多くは幕府と直接の主従関係になく、御家人は武士の中でもごく限られた階層に属していました。

となると御家人は幕府の威光を後ろ盾に何かと有利であったため、その地位は垂涎の的だったようです。

そこで幕府の目が行き届きにくい地方(特に西国)では、その資格がないのに御家人を自称する事例が相次いだとか。

「そんなのすぐにバレるでしょ」と思ってしまうのは現代的な感覚で、当時は何と鎌倉幕府の当局も誰が御家人で誰がそうでないか、その総数や顔ぶれをすべて把握できていなかったと言います。

現代に譬えるなら「公務員だと名乗ったモン勝ち」みたいなもので、それがまかり通ってしまっていたのが鎌倉時代。恐ろしくザルですね。

2ページ目 対策を講じる鎌倉幕府

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了