「鎌倉殿の13人」で重要な役割を演じる後白河法皇・後鳥羽上皇ら院の権力者たち。ドラマでは、政治的な暗闘を担う人物として描かれています。
そんな彼らが頻繁に行った熊野詣(上皇らが行うときは熊野御幸)をご存じでしょうか。院の御所の奥で政治を動かしている印象の強い上皇たちですが、実はこんなにも積極的に外の世界に出ていたのです。
今回は熊野御幸について、3回にわたりご紹介します。【その1】では、熊野詣とはどのようなものなのか。そして、なぜ盛んになっていったのか、その経緯についてお話ししましょう。
熊野三山は神々が鎮まる聖地
熊野詣とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社のいわゆる「熊野三山」に詣でることを言います。
周知のとおり「熊野三山」は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、それぞれを結ぶ古道・熊野古道には多くの人が訪れます。
「熊野三山」がある紀伊山地は、紀伊半島の大半を占め、その中央には標高1,000~2,000m級の高く険しい山々が連なり、年間3000mmを超える豊かな雨の恩恵で、深い森林に覆われています。そのため、今も昔も、普通の人がおいそれと入っていけるような地形ではありません。
こうした地理的な条件から、紀伊山地は神話の時代から、神々が鎮まる聖地とされてきました。「国生み」の神様イザナミノミコトの墳墓と伝わる場所が熊野にあることや、神武天皇が熊野を通って大和に入ったという伝承も、大昔からこの地が特別な土地であったと考えられていた証でもあるのです。