日本史上において、有名な場所はいくつもあります。自分の好きな歴史上の人物が活躍したところや、住んでいたお城、お墓があるところなど……。
そんななかでも、多くの方が知っているのが、北海道・函館にある「五稜郭(ごりょうかく)」ではないでしょうか。
新選組の副長として知られる土方歳三(ひじかたとしぞう)が戦った場所でもある五稜郭は、その独特な形で、一度見たら忘れられないのではないでしょうか。
そこで、今回の記事では、そんな五稜郭について詳しくご紹介したいと思います。
五稜郭はなぜ作られた?
北海道・函館にある五稜郭は、安政4年(1857年)に江戸幕府によって7年の歳月をかけて作られました。その目的は、蝦夷字を管理して、外国からの攻撃に備えるためでした。
函館(江戸時代までの表記は箱館)は、日米和親条約で伊豆の下田とともに開港しており、市街地に箱館奉行を設置しました。
しかし、港に近かったため、外国船から攻撃されやすいというデメリットがありました。そこで幕府が取った策が、箱館奉行を内陸、今の五稜郭がある場所に移転させました。