イケメンだったと噂される、平安時代〜鎌倉時代にかけての僧侶であり歌人「西行(さいぎょう)」。お顔についての確実性はないものの、恋の歌をたくさん詠んでいることは確かです。
百人一首にも「なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」という歌が選ばれているなど、平安時代を代表する歌人です。
実は、そんな西行が感心した一人の女性がいました。今回は、そんな女性・江口の君(えぐちのきみ)の伝説についてご紹介します。
簡単に西行についておさらい
西行(さいぎょう)は、先祖が藤原鎌足という武士の家系に生まれました。武道だけでなく、頭がよく、容姿端麗、そして歌の才能もある人物でした。しかし、22歳のときに妻子を捨てて出家の道へ。
江口の君の伝説とは?その舞台背景
ときは平安時代末期の1167年、舞台は現在の大阪(この当時はまだ大阪という地名はついていませんでした)。
淀川下流にあり、水上交通の要衝としてにぎわっていた江口の里は、歓楽街であり、遊女の里・遊郭の地として知られていました。
西行法師は天王寺へ参詣に向かっていましたが、道中、あいにく雨に降られてしまいます。少しならば我慢できるものの、雨脚は強まるばかり。西行は、とある粗末な家をたずねることにします。
中から出てきた女性は……
西行が戸をたたいた家から出てきたのは、ひとりの女性。一夜の宿を頼み込んだ西行に対し、主人である彼女は貸そうとしませんでした。
この女性こそが、のちに「江口の君」と呼ばれるようになる、遊女・妙(たえ)でした。