NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、登場するないなや並外れた存在感を見せつけている源義経(演:菅田将暉)。
誰もが思いつかないような戦術を実行し、切れ者梶原景時(演:中村獅童)をも唸らせる義経は、史実でも奇襲・奇策を用いて平氏を追い詰めていきます。
今回は、前編・後編の2回にわたり義経が行った奇襲・奇策の中でも有名な「一ノ谷の戦い・逆落とし」に焦点を当て、その真相を探っていきましょう。
【前編】は一ノ谷の戦いの概要について、ご紹介しましょう。
京都に迫る平氏が要害・一ノ谷に陣を張る
後白河法皇から三種の神器奪回の宣旨が出される
1183(寿永2)年、木曽義仲により京都を追われた平氏は九州大宰府に逃れます。その後、畿内では木曽義仲と源頼朝の間で源氏同士の戦いが起き、1184(寿永3)年1月に木曽義仲が敗死しました。
源氏同士の抗争の間に平氏は西国で勢力の回復を果たします。そして、同年1月に大船団を率いて大輪田泊(兵庫県神戸市)に上陸しました。
この頃になると平氏の力は九州・中国・四国におよび、瀬戸内海を制圧。かつて清盛が造営し遷都を計画していた福原(兵庫県神戸市)に入り、京都奪回の機会を伺うほどになっていました。
この状況をみた後白河法皇は1月26日、源頼朝に「平家追討の宣旨」を出します。この宣旨で法皇が頼朝に求めたのは、平氏が都落ちする際に持ち去った「三種の神器」の奪回であったのです。
それがどれほど重要な任務であるかは、法皇の命で平氏の所領500カ所が頼朝に与えられたことからも明らかでした。
一ノ谷の戦いにおける源平両軍の兵力
頼朝は京都にいた源範頼を総大将に別動隊の大将に源義経を任じ、平氏追討のため京都を出陣させました。平氏は、摂津国と播磨国の境にある一ノ谷に陣営を構え、源氏の軍勢を迎え撃とうと待ち受けます。
源平両軍の兵数は『平家物語』『吾妻鏡』によると、源氏約70,000騎、平氏約80,000~100,000騎とされ、『鎌倉殿の13人』をはじめ多くはこの説に従っているようです。しかし、時の右大臣九条兼実の日記『玉葉』の1183(寿永3)年2月4日条には、源氏・2,000騎、平氏20,000騎と記されています。
『玉葉』は当時の情報を生々しく伝えているので、そこには信憑性を感じられます。しかしながら、そうなると源氏は10倍近くの平氏軍と戦うことになり、さらに圧倒的な兵数を有する平氏が一ノ谷に籠城するという矛盾が生じてくるのです。