江戸時代には「茶屋」と呼ばれる店が、町や峠などいたるところにありました。なかでも「水茶屋」は男性客からの人気が高く、店は常に繁盛していたと言われています。
そこで、今回は江戸時代に大繁盛した「水茶屋」と「看板娘」について紹介したいと思います。
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茶屋の種類
茶屋とひと口にいっても、さまざまな種類がありました。
上質な料理や酒を提供する「料理茶屋」、芝居小屋に属する店舗が客に食事や飲み物を提供する「芝居茶屋」、美人な看板娘が働く「水茶屋」です。
「水茶屋」が繁盛した理由
当時、多くの若い男性が江戸に働きに来ていたのに対して、若い女性は実家で農業を手伝うことが多く、江戸には若い女性がほとんどいませんでした。
そのため、美人な看板娘がいる「水茶屋」には連日のように多くの男性が訪れていたのだとか。
価格は「お茶1杯六文」と現在の約120円という少々高めな金額設定であり、歓楽街の水茶屋はもっと高額で50文から100文といった金額が必要だったのです。ただ、そういったお店では、お茶を汲んでくれる「茶汲女」とよばれる女性がいて、話の相手をしてくれました。
女性と触れ合える機会が滅多になかった男性たちにとって、美人な看板娘や茶汲女と話せる機会は、よほど嬉しかったのでしょう。
現代のキャバクラと似たようなものだったかもしれません。