いつからそこに?大河ドラマ「鎌倉殿の13人」主人公・北条義時の墓が頼朝公の隣に!?

仕事で明細地図(令和3年・2021年版)を見ていたら、ふと源頼朝(みなもとの よりとも)公の墓に目がいきました。

「あれ?」

鎌倉市西御門二丁目5番地、頼朝公の墓に並んで「北条義時(ほうじょう よしとき)の墓」と書いてあります。

「いつから義時の墓がとなりに来たんだ?」

近ごろはすっかりご無沙汰とは言え、ボランティアで見守り・観光案内をしていた数年前は、頼朝公の墓は、玉垣の中にただ一基でした。

令和4年(2022年)大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主人公になるからって、行政当局か観光協会あたりが観光客狙いで何かモニュメントでもおっ立てたのでしょうか。

一体どういうことなのか、時間を作って現地へ足を運んでみました。

勘違いするのも、無理はないかも……?

さっそく頼朝公の墓へお参りしてみると、思った通り昔からのまま、頼朝公の墓が一基のみです。

念のため、玉垣の中も周囲も調べてみましたが、やはり義時の墓を示すものは設置されていませんでした。

とは言うものの、明細地図を作成する業者が現地も見ずに地図を作ってしまうこともないでしょうから、勘違いだったにしても何か根拠がある筈だろう……とより範囲を広げて周辺を確認すると、ありました。

史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)

平成31年(2019年)に建てられた石柱に、このように刻まれています。だから同じ場所(玉垣の中)に頼朝公と義時の墓が存在すると勘違い、実際には一基の石塔であっても、両者の墓があることを示す二基分の記号が表記されたのでしょう。

この法華堂とは頼朝公の持仏(じぶつ。お守りとして身近に持っていた仏像)をお祀りする仏堂(持仏堂)で、頼朝公の死後はその菩提を弔う場所となりました。

義時の墓はこの場所から少し東にある法華堂跡にあったものと推定されますが、厳密な位置は未詳となっています。

石柱が指す「法華堂跡」とは、頼朝公と義時それぞれの法華堂と墓を包括した広い範囲を示しており、それが地図業者の誤解を招いてしまったようです。

いくら鎌倉幕府のキーパーソンだったからと言って、妻の北条政子(まさこ。義時の姉)ならともかく、墓まで寄り添わせるのは、流石にちょっとね、と思ったひとときでした。

※なお、北条政子の墓は寿福寺(鎌倉市扇ガ谷)にあります。

2ページ目 近くに側近たちの墓も!

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