人間、極限状況になるとその本性を現わすと言いますが、こと日ごろ淡々と冷静な者が、ここ一番で熱くなる様子は、見る者の胸を打つもの。
今回は平安時代末期、源平合戦のハイライトである一ノ谷合戦において繰り広げられた梶原景時(かじわらの かげとき)親子の大暴れ「梶原の二度駆け」を紹介したいと思います。
血気に逸る景高を追い……
時は寿永3年(1184年)2月7日、梶原景時は源範頼(みなもとの のりより。頼朝公の異母弟)率いる大手(主力)の軍勢に参加。その傍らには長男・梶原源太景季(げんた かげすえ。23歳)と次男・梶原平次景高(へいじ かげたか。20歳)を伴っています。
「よいか平次。御殿(頼朝公)は『功名に逸(はや)って後に続く者を顧みず、単騎で抜け駆けする者には恩賞を与えぬ』との仰せじゃ。一軍の将たる自覚を持って兵を率いよ」
血気盛んな景高を諭す景時でしたが、そんな言葉を鼻で嗤い、即興で一首詠みました。
もののふの とりつたへたる 梓弓(あずさゆみ)
ひいては人の かへすものかは【意訳】武士が先祖代々受け継いだ梓弓(※)は、ひとたび引けば(射放たれた矢が)戻ることはないように、私もまた戻りません。
(※)元は梓の木で作った神事用の弓でしたが、後に弓一般を呼ぶようにもなりました。
「一軍の将なればこそ、いちいち後に続く者を顧みるのではなく、者どもを我が後に続かしむる心意気でなくば務まりませぬ。御免!」
若者らしく溌溂たる生意気さで言い返すと、景高は敵中へ単騎先駆けてしまいました。
「こらっ、待てと申すに……えぇい、平次を見殺しには出来ぬ。者ども、参るぞ!」
「「「おおぅ……っ!」」」
景高を孤立させぬよう、景時と景季は全軍を率いて敵中へなだれ込みます。
「平次!戻れ!」
「まだまだ!」
当たるを幸いとばかり敵を斬り倒す景高をどうにか「転進」させ、軍勢を引き上げてきた景時ですが、今度は乱戦の中で景季が取り残されてしまいました。