信長を知るならこれを読め!?織田信長の一代記「信長公記(しんちょうこうき)」をご紹介

雲川ゆず

昨年の大河ドラマ『麒麟がくる』でも重要な役割を果たした戦国大名・織田信長。日本史上、最も人気・知名度のある人物の一人ではないでしょうか。

そんな織田信長を知ることができる書物が「信長公記(しんちょうこうき)」。今回は、そんな「信長公記」をご紹介します!

「信長公記(しんちょうこうき)」とは?

織田信長の名前から、“のぶながこうき”と読んでしまいがちですが、正式な読み方は「信長公記(しんちょうこうき)」です。信長旧臣である太田牛一が書いた織田信長の一代記です。全16巻で、江戸時代初期に成立しました。

これは、牛一が自身のたくさんのメモを整理し、それらを切り貼りして一冊の本として作り上げたものであるという説があります。

信長の幼少時代から、上洛前までを首巻とし、上洛から本能寺の変までの15年の信長の記録を一年一巻として残しています。

「信長公記」で描かれる内容とは?

「信長公記」において、織田信長については、正義を重んじる性格であり、精力的で多忙、道理を重んじる古今無双の英雄だとして描かれています。信長に対して「上様」「信長公」「信長」などと表現が変わっていることも特徴で、様々な時期に書かれたものを集めた書物であることがわかります。

また、信長だけでなく、信長に離反した荒木村重の妻子を憐れみ、村重と妻との短歌のやり取りを詳細に記したりと、著者・牛一の人物観も垣間見ることができます。

高い評価を受ける「信長公記」

近年の研究で、年次の誤りが指摘されることもありますが、「信長公記」は他の二次史料とは一線を画す正確さであるとみられています。例えば、1611年(慶長16年)ごろ成立したとされる『甫庵信長記』は、儒教の影響を受けており、意図的な改竄や虚構があると言われています。

また、1685年(貞享2年)頃成立した『総見記』は、『甫庵信長記』からさらに考証を重ね、同書の訂正・補足を目的として作られました。これらと比べると、「信長公記」の著述姿勢は真摯なものであるとされています。

いかがでしたか?

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

現代語訳 信長公記

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