奴隷として日本へやってきた黒人「弥助」
戦国時代のポルトガルは植民地扱いされており、多くのポルトガル人が奴隷として売買されていました。ポルトガル領のアフリカ出身である弥助(やすけ)もその1人で、インドの宣教師に奴隷として買われ、日本の京都へやってきたのです。
戦国時代にアフリカから日本へ? 織田信長に仕えた黒人従者「弥助」とは【前編】
戦国三英傑の一人「織田信長」。信長が異国の品や目新しいもの好きであったことは良く知られている。その中でも特異な存在として記録に残っているのが黒人の家臣「弥助(やすけ)」だ。今回は【前編】【後編…
弥助と信長の出会い
当時の日本では肌が黒い黒人は珍しく、一目見ようと多くの見物人が集まったそうで、怪我人が出るほどだったのだとか。信長も弥助を初めて見た時に興味を示し、肌に「墨を塗っているのではないか」と問いただし、目の前で体を洗わせたそうです。
この時代、名茶人である「千利休」は「黒」が至高の色だと考えており、仲の良かった信長も影響されて弥助の体に至高の美を感じ取ったのかもしれません。
弥助を気に入った信長はインドの宣教師と交渉し、弥助を譲り受けます。これが弥助と信長の出会いでした。
弥助と信長の関係
信長は弥助を奴隷扱いすることなく、武士の身分を与えています。そのことから、いままでの奴隷生活は一変。私邸や腰刀を持つ許可も得て、弥助は信長に従軍することとなったのです。
弥助は常に信長の側にいて、道具持ちや身辺警護などの役を与えられていました。「才能あるものは身分を問わず登用する」といった信長の言葉を表す、登用の代表と言えるでしょう。