十五夜も十三夜も正月もサトイモ!日本では古くから神聖な食材とされてきた「里芋」の歴史

十五夜のお月見に「サトイモ」?

今では、サトイモといえばありふれた食材です。
しかし、どうやら記録に残るよりもずっと前の時代から、サトイモは神聖な食材として考えられていたようなのです。

江戸時代のこんな記録があります。

江戸時代の元禄八年に刊行された『本朝食鑑』です。ここには、八月十五日夜の月とサトイモの関係が記されています。

八月十五夜の月を鑑賞するとき、必ず芋の子(筆者注:サトイモのこと)、青いさやつきの豆を煮て食べる。九月十三夜の月を賞するに、薄皮をつけた芋の子を衣被と呼んで、生栗を煮て食べる。正月三朝、芋頭を雑煮に入れて、ともにこれを賞する。これらは、上も下も、どこの家々でも、昔からの習慣としている

どうやら、八月十五日の十五夜も、また十三夜にあたる九月十三日も、そしてお正月も、サトイモを食べることが当たり前の習慣だったようです。

八月十五日について言えば、この日の夜を今も「芋名月」と呼ぶ地方は少なくありません。また「芋神様」と呼んで祝ったり、この日が初めてサトイモを掘る日だということで「芋の子誕生」と呼ぶ地方もあるそうです。

(ちなみに八月十三日の「十三夜」については、栗や枝豆を供える「栗名月」「豆名月」とも呼ばれています)

十五夜と言えば、中秋の名月ですね。この、中秋の名月を鑑賞する習慣は中国では唐の時代から存在し、日本には平安時代の初期に入ってきたとされています。

ただ、そうした中国伝来の習慣とは別に、八月十五日とサトイモとの間には、もともと日本独自の密接な関係があったようです。

以下では、その関係を探ってみましょう。

4ページ目 東南アジアから伝わった、サトイモとその「神聖さ」

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