戦国時代のラブレター(恋文)は主に男性から男性へと送られるものでした。そもそも戦国時代では、現代の様にLGBTといった概念がなく、男色を意味する「衆道」は、ごく一般的でした。
「衆道」は、とくに命を懸けた深い信頼のある主従関係から発展することが多かったようです。織田信長や徳川家康、松尾芭蕉も衆道の毛があったようで、武士の間では流行していました。
戦国時代では出世するにも「衆道」は貴重な役割を果たしており、多くの武将たちが主人の夜伽相手をしていました。
武田信玄の乙女さ全開のラブレター
武田信玄が6歳年下の春日源助に送ったとされているラブレターが東京大学史料編纂所に所蔵されています。そこには、武田信玄が弥七郎という男性との浮気を春日源助に疑われ、疑いを解くために必死に弁解している様が見てとれます。
原文を簡単に現代語で翻訳すると、
弥七郎に言い寄ったことはあるけど具合が悪いと断られたよ。嘘じゃないよ。
弥七郎と寝たことはない。昼も夜も特別な関係になったことはない。ましてや今夜などあるわけもない。
君ともっと良い関係を築きたいと思って奔走していたのに、疑われてしまって悲しいよ。
今言ったことが嘘だったら八幡大菩薩や諏訪上下大明神の罰を受けてもかまわない。
ちゃんと正式な紙で謝りたかったけど、役人の目があるからごめんね。
また今度、きちんと謝らせて。
といった内容が書かれています。
普段の私たちが想像している威厳のある武田信玄からは、この乙女さ全開で恋に翻弄される武田信玄の姿は想像しがたいです。
戦での戦略はお手のものの武田信玄も、恋の戦略はすこし苦手だったようで、部下であり、恋人でもある春日源助の尻にしかれていたようです。
男性であれ、どんな人であれ、元来より、恋した時の人間の感情や思いは不変せずに、現代へと引き継がれているのかもしれません。