Japaaan読者の皆さんこんにちは、ライターの小山桜子です。入学シーズンですね。新しく入学された皆さんや進級された皆さん、おめでとうございます。
そんなわけで、今回のテーマは江戸時代の「寺子屋」についてです。
学ぶ内容とは?
6歳くらいになると親に連れられて近所の寺子屋に入学していた江戸の子供たち。彼らはいったい何を学んだのでしょうか。
その答えは「働いて稼ぐために必要な学問」です。
当時の庶民に必要だとされていた学問に関しては「名頭と江戸方角と村の名と商売往来、これでたくさん」という言葉がありました。
つまりひらがな、数字、そろばん、九九、地名、名字、手紙の書き方、商売に使う用語などを4、5年くらいで習得したらそれで充分で、遅くとも14才までにはそれらを身につけ、自然に卒業していきました。
働いて稼ぐために必要最低限の学問は身に着けたものの、それ以上の研究的な分野はほとんどの子供は学ばなかったわけですね。
当時の先生とは?
今みたいに教員免許がない江戸では、誰が先生になったのでしょうか。
江戸初期には多くの場合知識のある僧侶、下級武士、職のない浪人などでした。しかし彼らに教わった町人の子供たちがやがて大人になって先生になり、その町人に教わった町人の子供たちがまた先生になり・・・・・・というわけで江戸時代後期には普通の町人の先生が爆発的に増えており、少なくとも全国に5万件以上は寺子屋があったと言われています。
女児の就学率も高かった江戸では、女の先生も多くいました。女の先生は女筆指南と言って女性ならではのやわらかな文字の書き方の指南なども女児向けに行っていました。
先生の収入源は
余談ですが、当時の先生の収入源は月並銭と呼ばれる月謝や、農家などで金銭があまり流通していない場所では野菜やコメなどを納めて月謝とした土地もありました。
そのほかにも畳料という6月ごろに納める畳替えの費用や、墨料という秋ごろに納める暖房の費用も生徒の家から納められる費用でした。
参考文献:学研「時代小説職業辞典」歴史群像編集部