100年以上の年月を経ても、愛されている春の歌「春の小川」。
その春の小川は実在する川で、東京都渋谷区代々木界隈を流れていた「河骨川(こうほねか)」がモデルとされています。
両岸には可憐な春の花々が咲き、魚たちが遊ぶ姿が眺められるほど清らかだった「春の小川」は、1964年の東京五輪を機に、光の差さない暗闇でひっそりと流れている暗渠(あんきょ)へと、変わってしまいました……なにが起こったのでしょうか。
ここまでのお話【前編】はこちらをお読みください。
さらさら流れる「春の小川」はいずこ?東京五輪を機に地下に埋設され渋谷の地下でひっそりと【前編】
桜の花も咲き始め暖かい日が続くと、なんとなく頭の中に流れるのが、「春の小川はさらさらいくよ」のメロディー。そう、その名も「春の小川」ですね。清流の岸に咲く花々、小さな魚の群れ……などの歌詞に、…
時代とともに変わって行った春の小川
春の小川の作詞者である国文学者・高野辰之博士が、この歌の詩を書いた頃。
河骨川も、魚たちが泳ぐ姿が容易に見つけられるほど水は透明で、両岸にはレンゲやスミレなどの春の花が咲き、それはのどかで美しい風景だったのでしょう。
河骨川は、渋谷川(※1)の支流である宇田川(※2)に合流していた小川でしたが、戦後は徐々に生活排水などで汚染され、以前の姿は失われていきました。
※1 渋谷川:渋谷駅南から、天現寺橋(広尾)までの2.4Kmを流れている二級河川
※2 宇田川:代々木4丁目・初台・西原・大山町・上原などを水源とした複数の支流を持つ川。中でも、「春の小川」のモデルで会った河骨川は、最も大きな支流といわれている。
初の東京オリンピック開催に向け暗渠化
昭和36年。
「東京都市河川計画 河川下水道 調査特別委員会 委員長報告」に基づき、日本で初の東京オリンピック開催に向け、東京では都市の近代化が進められていました。
そして、主に山手の河川の上流部を中心とし、河川に蓋をして暗渠(※1)化し下水道への転用が進めたれたそうです。
今聞くと、「自然に流れている川に蓋をして、道路を作り地下に沈めてしまう」……というのは、なんとももったいないような、乱暴な気もします。