「俺も昔はワルでよぉ……喧嘩とか負けなしだったんだぜ?」
かつて、呑み屋なんかで女性相手に嘯いては得意になっている方を見かけたものですが、女性の「すごーい!」というセリフには、その後に(ドン引きー!)という本音が隠されていることを忘れてはいけません。
さて、古来「喧嘩両成敗」などと言われる通り、喧嘩なんて売っても買ってもダメなものですが、中には喧嘩せずにはいられない、そんな難儀な方もいるようです。
今回紹介するのは博多の「喧嘩勘兵衛」こと小森勘兵衛(こもり かんべゑ)。彼の乱暴無類な喧嘩人生の中から、特に無鉄砲極まるエピソードを紹介したいと思います。
喧嘩勘兵衛、選挙干渉で大暴れ!
小森勘兵衛についてその出自や生没年は不詳、博多の侠客「勇敢仁平」こと大野仁平(おおの にへい)の子分となりました。
「カラスの鳴かない日はあっても、勘兵衛が喧嘩せぬ日はない」
地元でそう囁かれるほど喧嘩っ早く、命知らずな子分たちの中でも、ひときわ無鉄砲な存在として一目置かれて(敬遠されて?)いたようです。
「親分、次の仕事(喧嘩)はまだですかい?」
「まったくお前は……喧嘩ばっかりじゃ渡世はならねぇって何度言ったら……」
さて、そんな勘兵衛に大活躍のチャンスがやって来たのは、明治25年(1892年)の第2回衆議院議員総選挙。
時の松方正義(まつかた まさよし)内閣が、海軍予算の拡充を推進するため、反対する民党(野党)を妨害して吏党(与党)を助けるという、後世に悪名高き「選挙干渉」を行った時のことです。
「いいか!民党支持の有権者へ一軒々々『ご挨拶』して、吏党への投票を『お願い』して来るのだ!」
「「「へい!」」」
具体的には賄賂を渡して買収し、それに応じなければ力ずくで脅し、抵抗するなら殺害も辞さないという、実に凄まじい「お願い」だったそうです。
こういう荒事なら我らにお任せ……ということで、仁平一家も意気揚々と出陣。もちろん勘兵衛も大立ち回りを演じるのですが……。