「タロウ君の伯父さん、有名人で羨ましいなぁ」
子供のころ、こんな会話があったりなかったりしましたが、身内にいわゆる著名人がいると誇らしく思う一方で、プレッシャーを感じる方も少なくないようです。
ましてやその著名人が伝説的なカリスマだったり、絶対的な権力者だったりすると、どうしても比べられ、見劣りしてしまいがち。
「伯父さんはあんなに凄いのに、タロウ君と来たら……」
本人が一生懸命に努力して結果を上げても「どうせ七光りでしょ……」なんて色眼鏡で見られてしまっては、せっかくのやる気も損なわれてしまうでしょう。
今回は戦国時代の伝説的カリスマ・織田信長(のぶなが)を伯父に持った織田頼長(おだ よりなが)のエピソードを紹介したいと思います。
天下一の傾奇者に、俺はなる!
織田頼長が誕生したのは信長が「本能寺の変」に斃れた天正十1582年。通称は孫十郎(まごじゅうろう)と言いました。
父は信長の弟・織田長益(ながます。有楽斎)、母は正室お清の方(雲仙院殿)。彼女は若き日の信長(吉法師)を諫めて自害した平手政秀(ひらて まさひで)の娘です。
兄の源二郎(げんじろう。後の織田長孝)は側室の子なので家督の継承権は嫡男である孫十郎にあり、このまま行けば将来は父の跡を継いで大名となり、それなりに順調な未来が見えていました。
しかし、そんな「敷かれたレールの上を走る人生」なんてつまらない。ましてや周囲の者たちから「伯父の七光り」などと陰口を叩かれては癪に障るというもの。
「よし……天下一の傾奇者(かぶきもの)に、俺はなる!」
傾奇者とは奇抜な衣装や反秩序的な振る舞い(奇にかぶくこと)を好む若者たちを指す言葉で、後に歌舞伎(かぶき)の語源ともなりました。
今も昔も、斜に構えた若者たちが極端な自己表現に情熱を迸らせるのは変わらないようで、現代ならヤンキーやギャル、中二病などがそれに該当するのでしょうか。
話を戻して、「天下一の傾奇者になる!」と決めた孫十郎は若き日の信長さながらの傾きっぷりを見せ、『当代記(とうだいき)』では「かぶき手の第一」と評されました。
しかし、周囲の者たちは口先でこそ褒めそやしながら、内心「形ばかり信長公の真似をして、このうつけ者が……」などと軽蔑していたのかも知れません。
また、嫡男の放蕩ぶりを快く思わなかった母は亡父よろしくガミガミと叱りつけ、そのシーンは、まるで数十年前の吉法師と政秀を彷彿とさせたことでしょう。